『注文の多い料理店』や『セロ弾きのゴーシュ』『風の又三郎』などの名作で知られる宮沢賢治。
国語の教科書にも載っていることから、一度は作品を読んだことがあるのではないでしょうか。一方で、タイトルは知っていても、実際に読んだことがない方もまだまだ多いはずです。
今回は、宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』のポイント解説。読書の手がかりになれば幸いです。
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』のあらすじ
星座の煌めく世界が描かれた『銀河鉄道の夜』。
主人公ジョバンニと親友のカムパネルラは、銀河鉄道の旅を通して個性的な人物たちと出会い、やがて揺るぎない「決意」を獲得します。
ここでは一般に読まれている「最終形」のあらすじを紹介します。実は『銀河鉄道の夜』には2つの物語があるのです。
詳しくは後述します。
銀河鉄道の夜|おもな登場人物
ジョバンニ
物語の主人公。クラスに馴染めない内気で孤独な少年。病気の母のためにアルバイトで生活費を稼いでいる。銀河鉄道の旅を通じて「あること」に気づきはじめる。
カムパネルラ
ジョバンニの親友。ジョバンニとは対照的なクラスの人気者。心優しい少年で、ジョバンニとともに銀河鉄道の旅をする。
ザネリ
ジョバンニをからかうクラスのいじめっ子。烏瓜の明かりを流す祭りで川に落ち、カムパネルラに助けられる。
大学士
銀河鉄道の旅で出会う、分厚いメガネをかけた学者。ウシの先祖の化石を発掘調査している。
鳥捕り
銀河に生息する雁やサギを捕まえ、押し葉にして売っている。神出鬼没な謎の人物。その押し葉はチョコレートよりも美味しいらしい。
かおる子、タダシ、青年
姉弟とその家庭教師の青年。ある事故により銀河鉄道に乗車する。神さまのところへ赴くためサザンクロス駅で下車。
孤独な少年ジョバンニ
内気で孤独な少年ジョバンニ。
父親は出稼ぎで家にはいません。貧しく母親も病気がちのため、毎日アルバイトに精を出す日々。
授業中は先生からの質問に答えられず、同級生のザネリにからかわれます。それでも幼馴染のカムパネルラだけはジョバンニを気遣ってくれます。
放課後、クラスのみんなが集まって今晩開かれる「ケンタウルス祭」の話をしていますが、ジョバンニは輪の中に入れてもらえません。
さみしさと悔しさを抱えたジョバンニは、ひとりで「天気輪」の丘まで駆けあがり、星々が瞬く美しい夜空を見あげます。
銀河鉄道の旅へ
すると、どこからともなく「銀河ステーション、銀河ステーション」という声が聞こえてきます。
ジョバンニは眩い光におおわれ、気がつくと銀河鉄道の汽車の中にいたのです。すぐ前の席には、濡れた黒い上着を着たカムパネルラがいます。
銀河を旅をすることになったジョバンニとカムパネルラは、黒曜石でできた銀河の地図を見ながら、大学士や鳥捕りといった不思議な人物たちと出会います。
ほんとうのさいわい
今度は幼い姉弟とその家庭教師の青年が乗車してくることに。
青年は自分たちが乗っていた客船の沈没事故を説明し、姉のかおる子は「やけて死んだ蠍(さそり)の火」の物語について語ります。
そして、汽車は乗客たちの目的地「サザンクロス駅」に到着。車内はジョバンニとカムパネルラだけになり、ふたりはどこまでも一緒に「ほんとうのさいわい」を探す約束を交わします。
しかしその直後、カムパネルラまで姿を消してしまうのです。悲しみのあまりジョバンニは、のどいっぱいに号泣するのでした。
カムパネルラとの別れ
ふと気がつくと、ジョバンニは「天気輪」の丘にいました。あたりはすっかり暗くなり、母へ牛乳を届けるために急いで街に戻ると、川辺に人だかりができていました。
川で溺れたザネリを助けようとしたカムパネルラが行方不明になっていたのです。そこにはカムパネルラの父親もいましたが、ジョバンニに「もう駄目です」と伝えます。
そして、ジョバンニの父親が帰ってくるという知らせ。
言葉にできない複雑な思いを抱えながら、家路を急ぐジョバンニ。物語は幕を下ろします。
銀河鉄道の夜|作者・宮沢賢治の思想
宮沢賢治は、その作品から牧歌的で穏やかな印象を受けますが、信仰心があつい仏教者だったようです。
ここでは『銀河鉄道の夜』の理解を深めるために、執筆の経緯と思想について紹介します。
岩手県花巻市に生まれる
宮沢賢治は1896年(明治29年)、現在の岩手県花巻市に5人妹弟の長男として生まれました。質素なイメージのある賢治ですが、裕福な家庭に育ちます。
幼少のころから鉱物採集や昆虫標本を好み、家族からは「石コ賢さん」のあだ名で親しまれていました。また、父親が熱心な浄土真宗の門徒だったため、仏教思想が身近にありました。
学校の成績もずばぬけていた賢治は、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)に首席で入学。また、友人と同人誌『アザリア』を発刊し、短歌や短編小説を投稿し始めます。
最愛の妹トシ子を失う
賢治の作品づくりに協力するなど、妹のトシ子は兄・賢治の良き理解者でした。
トシ子は病弱で、賢治が看病することもあったそうです。トシ子は東京の大学を卒業し、故郷の花巻で英語教師として教鞭をとりましたが、結核により24歳の若さで亡くなります。
心の支えを失った賢治は、悲しみにより半年間、筆をとれなかったと伝えられています。賢治の詩『永訣の朝』はトシ子の臨終を描写したものです。
『銀河鉄道の夜』を執筆
トシ子の死からおよそ2年後の1924年、賢治は『銀河鉄道の夜』の執筆をはじめます。
一説によると、主人公ジョバンニのモデルは賢治、カムパネルラのモデルは妹トシ子です。
もしこの説が正しいとするなら、賢治にとっての『銀河鉄道の夜』は、トシ子の死を正面から受けとめ、新たな人生を歩むための決意表明だったのかもしれません。
作品は1931年まで何度も推敲されましたが、1933年に賢治がこの世を去ったため、未完となりました。
宮沢賢治と法華経
「法華経」とは、お釈迦様が弟子たちに説いた教えのひとつで、簡単にすると「生きとし生けるもの全てに仏の心が備わっている」というものです。
法華経には膨大な教えが説かれています。
そのなかでも、お釈迦様が未来永劫にわたって存在することを説いた如来寿量品(にょらい・じゅりょうぼん)に、賢治は「身が震えるほどの感動を得た」と言われています。
また、賢治の作品には猫や鳥などの動物たちが擬人化されて登場しますが、こうした表現もあらゆるものが仏として現れるという『法華経』の影響が大きいと言えるでしょう。
『銀河鉄道の夜』には2つの物語がある?
『銀河鉄道の夜』には、2つの結末があることをご存知でしょうか?
賢治によって何度も推敲されてきた『銀河鉄道の夜』は、第1〜3次稿をまとめた「初期形」と、のちに研究者や親族の協力で完成した4次稿「最終形」と呼ばれる2つの物語があります。
現在、一般に読まれているのは「最終形」です。
最終形ではジョバンニの学校での様子や、仕事風景などが付けくわえられています。
初期形との最大の違いは、「ブルカニロ博士」が削除されている点にあります。
謎の人物・ブルカニロ博士
初期形に登場する「ブルカニロ博士」とはどんな人物なのでしょうか?
ブルカニロ博士は「やさしいセロのような声」を持ち「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の痩せた」人物として描かれています。
さらに、初期形の6章「銀河ステーション」では、銀河鉄道に乗る前のジョバンニが「セロのようなごうごうとした声」を聞いていることから、ブルカニロ博士がジョバンニを銀河鉄道に誘導したと推察できます。
なぜ、ジョバンニを銀河鉄道に導いたのか?
その目的は物語終盤で明らかになります。
ブルカニロ博士の心理実験
ブルカニロ博士の目的は、ジョバンニに「心理実験」を施すことでした。
心理実験のあと、ブルカニロ博士はジョバンニに次の言葉を贈ります。
「お前は夢の中で決心したとおりまっすぐに進んでいくがいい。そしてこれから何でもいつでも私のところへ相談においでなさい」
この言葉に対してジョバンニは、
「僕はきっとまっすぐ進みます。きっとほんとうの幸福を求めます」
と答え、力強く決意します。
つまりブルカニロ博士は、ジョバンニを「ほんとうのさいわい」へと導く伝道師なのです。
なぜ、宮沢賢治は物語の結末を変えた?
上述の通り、本作はたびたび推敲がなされました。初期形と最終形では、ジョバンニの心情や人間関係などが大きく異なります。
初期形では、銀河鉄道の旅を終えたジョバンニが「ほんとうのさいわい」を求めることを宣言するのに対し、最終形では「いろいろなことで胸がいっぱい」になり、街へ戻るシーンで終わります。
なぜこのように物語が変更されたのか?
その理由のひとつに、当時の賢治の健康状態を指摘する人もいますが、草稿のままこの世を去ったため、本当の結末は作者である賢治にしかわかりません。
銀河鉄道の夜|宮沢賢治からの壮大な問いかけ
今回は、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』のあらすじや思想、初期形と最終形のちがいについて紹介しました。
作品中、賢治は人間のあるべき姿を「ほんとうのさいわい」と表現しています。
この言葉にはどんな思いがあるのでしょうか。
『銀河鉄道の夜』の草稿は、作者の死によって未完のまま混乱していました。
それを整理してくださった親族・研究者のおかげで成立した「最終形」ですが、作品の解釈は読者それぞれに委ねられています。
まんがで読破『銀河鉄道の夜』では、最終形に初期形のエピソードを盛りこんで構成しました。読書の手がかりに、ぜひお楽しみください。