資生堂パーラーには当世風の粋人たちが集う。
『痴人の愛』の譲治とナオミが生きた「モボ・モガ時代」を感じさせるレストランは、2001年3月に完成した東京銀座資生堂ビルの4・5階にある。
高い天井、創業時の吹き抜けのイメージか。個室は資生堂創業当時のステンドグラスが飾られている。
資生堂パーラーとモボ・モガの時代
モダンボーイ(Modern Boy)、モダンガール(Modern Girl)、略してモボ・モガ。
西洋文化の影響を受け、新しい風俗や流行をまとった若い男女たちが生きた1920年代。そんな1928年に「資生堂アイスクリームパーラー」が本格的洋食レストランとしてオープンした。
ルーツは1902年に銀座・資生堂薬局内に開設された「ソーダファウンテン」。
関東大震災で焼失し、仮営業していたが、前田健二郎設計の木造二階建てで本格営業を始めた。
内部は1階正面に飲料カウンターを置き、食堂は2階までの吹き抜け。天井からはシャンデリアが下がり、2階にはオーケストラボックスが設けられていた。
1924年から「大阪朝日新聞」に連載された谷崎潤一郎の『痴人の愛』は、そのころのモボ・モガのにおいを感じさせる作品だ。
流行りの姿が活写されている。
外食も当たり前になってきており、資生堂パーラーそのものは出てこないが、主人公の譲治とナオミは洋食屋にも出かけている。
そこで描かれるのは、ビフテキをぺろりと三皿もおかわりする快活なモダンガールの姿だ。
資生堂パーラー|粋人たちを魅了した「伝統の味」
1階入り口店員の案内で5階へ。
資生堂のマークをモチーフにしたものが織られたクロスがかかるテーブルに伝統のコンソメスープが運ばれ、いよいよモボ・モガの世界がスタート。
資生堂パーラーのコンソメスープ
伝統のコンソメスープ。
金で縁取られたカップにボーイがスープを注いでくれる。
10時間かけて作られたという黄金色に透き通ったスープからは香ばしい匂いがたちこめ、塩分は控えめながらもしっかりとした味わいだ。
伝統のミートクロケット
メインは伝統のミートクロケット。
ナイフを入れると中身がとろけだすのではないかと思うほど柔らか。ジャガイモを使わないペシャメルソースだ。中の肉もミンチではなくハムやボイルした仔牛の肉を賽の目状に切ったもので歯ごたえがある。
衣のカリカリ感、とろとろのソースに肉の歯ごたえ、まさに三位一体(笑)。
フォン・ド・ヴィラユベース(鳥)と思われるソースが軽やかで、クロケットの重さと良いバランスだ。パンでソースも完食。
伝統のオムライス
お腹がすいていたので、オムライスも注文。
こちらも有名なチキンライスを卵焼きで完璧にくるんでいる。チキンライスだが、具であるチキンや玉ねぎ、マッシュルームにしっかりトマトの味が染みている。
ホームページによると具だけを先に煮詰め、そこにごはんを加えて炊きあわせるという。卵焼きはバターの味が残る。その上にフォン・ド・ヴィラユベースのトマトソースがさわやかにまとう。
付けあわせは福神漬け、らっきょう漬け、玉ねぎのピクルスに、ミカンのシロップ漬け。
オムライスの皿はそれまでのものとは違い、金の縁取りがなく、金の資生堂マークもない。
なぜかとギャルソンに問うたところ、金の縁取り皿は創業時から使い続けているもので、オムライスの皿だけがそろわなくなり、ノリタケに注文したのだが、数量金額(?)が合わず断られたそうだ。
アイスクリームソーダ
デザートは3階のサロン・ド・カフェに移り、1902年から続くアイスクリームソーダ。
ソーダ水(レモン)に自家製のバニラアイスクリームがのったものをチョイス。長いスプーンでかき混ぜると炭酸が上がってきて甘さが倍増。ストローは紙製だ。
文豪たちが描いたモボ・モガの時代
モボ・モガの時代を活写した作品をもうひとつ紹介しよう。
永井荷風『つゆのあとさき』だ。
作品のモデルとなった「カフェー・タイガー」の女給に入れあげ、500円の金を請求されたという。
カジュアルな格好でも資生堂パーラーは利用できますが、モボ・モガに倣ってちょっとおしゃれな装いで出かけることをお勧めします。
あなたも銀座の主役になれるかも。
資生堂パーラー 銀座本店
資生堂パーラーのホームページ
東京都中央区銀座8-8-3
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この記事を書いた人 平野 秀幸 (ひらの ひでゆき) フリー編集者。少女少年漫画から週刊誌、エンターテイメント誌など多くのジャンルを渡り歩く。ビートルズ、歌舞伎、食、女性を愛す。ただいま、漫画シリーズを企画準備中。