『破戒』は明治39年、島崎藤村によって書かれた小説です。名前は聞いたことあるけれど、難しそうで読んだことはないという人も多いでしょう。
この記事では、『破戒』のあらすじや、物語の主題である被差別部落についてわかりやすく解説します。ぜひ参考にしてください。
島崎藤村『破戒』あらすじ
『破戒』の舞台となるのは信州(長野県)北部。明治時代の後期。江戸時代に存在した「士農工商」の身分制度は形式的には廃止されたものの、人々の心のなかに根付いてしまった差別意識は、そう簡単になくなるわけではありません。
「士農工商」の身分から排除された人々が暮らす被差別部落に対する偏見も、依然として残っていました。部落の出身であることがわかると、職を剥奪されたり、借家から追い出されたりするなど、さまざまな嫌がらせを受けていたのです。
『破戒』の主人公は、被差別部落に生まれた青年教師・瀬川丑松。丑松は、父から「素性を隠して生きろ」と戒めを受けて育ちました。大人になってからは小学校教師として生徒たちに慕われ、戒めを守りながら幸せな日々を送っていたのですが、ある解放運動家との出会いで考え方が変化していきます。
彼のように身分を明かして差別とたたかうべきではないか、しかし、身分を明かすことは父の戒めを破ることになる…。葛藤する丑松でしたが、父の死をきっかけについに破戒の決断をします。差別されることを恐れ、差別に流される人も多いなか、丑松を助ける者はいるのか…。
作者・島崎藤村と自然主義
『破戒』の作者である島崎藤村は、明治5年、現在の岐阜県中津川市で生まれました。明治25年、20歳のときに明治女学校の英語教師となり、その翌年、親交のあった北村透谷や星野天知とともに、ロマン主義の雑誌『文学界』を創刊します。
ロマン主義の作品を発表
ロマン主義の特徴は、個人の主観や感受性を重視して、感情的な表現を用いることです。島崎藤村もロマン主義の作家として、『文学界』に詩や随筆を発表します。
個人としてのデビュー作は、詩集『若葉集』です。当時25歳だった島崎藤村は、そのころ感じていた苦悩や葛藤、情熱を詩に託し、多くの読者の心を動かしました。ただ、千曲川周辺を描写した写生文『千曲川のスケッチ』を執筆していたころから、「自分のことをもっと簡素に表現したい」と考え始めます。
ロマン主義から自然主義へ
このような思いから、表現方法を詩から散文へと変え、自然主義の作家になりました。自然主義の特徴は、人間の行動や思考を客観的に表現すること。
明治39年に自費出版された『破戒』は、日本における自然主義小説の代表格です。差別という現実的な問題を主題とした『破戒』は、多くの反響を呼び、夏目漱石からも絶賛されました。
部落差別とは何か?島崎藤村『破戒』の歴史背景
そもそも部落差別とは何でしょうか。その歴史的背景について知ることで『破戒』をより深く理解できます。ここでは、政治・宗教・部落解放運動の3つのポイントでわかりやすく解説します。
1.政治|部落差別の起源について
部落差別の起源は諸説あり、地域によっても異なります。近世に起源を求める説では、封建社会が確立されていく過程で、政治的に作られたものであると言われてきました。現在では、さらに中世までさかのぼって考察されています。
(1)死や血に関わる職業を排除
日本史上の古代以降、人の死や血に関わる仕事をする人は「穢れた存在である」として、社会的に排除されていました。ただし、その仕事は社会に必要不可欠です。混乱する中世の時代においては、役割が交代することもあり、制度や法律によって固定されていたわけではありません。
(2)江戸時代に固定された身分制度
豊臣秀吉は、強固な支配体制を築くために刀狩りを行い、武士と農民をはっきりと区別しました。さらに江戸時代には、徳川幕府によって「士農工商」とならぶ被差別身分が固定されます。武士階級による幕藩体制を確かなものとするため、中世からあった人々の偏見まで利用したのです。
(3)明治時代に被差別身分は廃止
幕藩体制の崩壊後、明治政府は近代国家として進んでいくため、それまでの封建的な制度を廃止します。明治2年に武士や農民などの身分を廃し、明治4年には被差別身分の廃止を目的とする「解放令」が出されました。
差別されてきた人々も制度上は平民と同じ身分になったのです。ただ、『破戒』のなかで表現されているように、人々の心から差別意識は消えません。部落差別は、制度だけの問題ではないのです。
2.宗教|主人公の丑松が下宿した蓮華寺と浄土真宗
長野県飯山市にある真宗寺は、主人公の丑松が下宿した蓮華寺のモデルとなったお寺です。真宗寺の境内には、『破戒』の第一章を刻んだ文学碑も建てられています。
この真宗寺の宗派は、浄土真宗です。浄土真宗の宗祖である親鸞は、すべての人が等しく救済されるという「悪人正機」をとなえます。親鸞が生きた時代には、河原に住み死牛馬の処理をする人や、村落から流出した困窮民など、多様な被差別民がおり「悪人」とされていました。
「悪人」こそ救われる。という親鸞思想は、被差別部落の人々にとって救いになりました。
実際、社会に貢献していたのです。孤立した被差別部落で育てられた職能や文化は、独占技術・お家芸となり、多くの成功者を輩出しました。
『破戒』の主人公・丑松が下宿に選んだ蓮華寺から、その宗教的背景がうかがえます。
3.部落解放運動|差別小説として叩かれた『破戒』
文学作品として高く評価された『破戒』ですが、のちに差別小説として叩かれることになります。
大正時代に入ってからも被差別部落への偏見は厳しいものでしたが、少しずつ自分たちの力で差別をなくそうという動きが増えてきました。
大正11年には、大正デモクラシーという社会情勢を背景として、全国水平社という部落解放運動を推進する団体が結成されます。
この運動により部落差別の不合理性が認知されるようになった一方で、差別的な言動を排除する動きが強くなりました。『破戒』も、差別を助長する表現として批判され、一部の組織から圧迫を受けます。
このような批判の裏には、「寝た子を起こすな(被差別部落のことを知らなければ差別も生まれない)」という考え方が存在しているのです。
島崎藤村『破戒』が示した部落問題と教育
「寝た子を起こすな」という考え方は、差別を受けている人に対して「我慢して生きる」「隠して生きる」ことを強いることになります。当事者にとっては苦しい生き方ですし、根本的な解決にもなりません。
全国水平社は、差別を隠すような行為をのちに批判し、『破戒』は進歩的な作品であると再評価しました。
現代では、差別について正しい知識を身につけ、適切な行動をすべきという考え方が一般的になり、『破戒』は同和教育の教材としても使われています。
差別という社会悪
被差別部落にどんな歴史があったとしても、地域や職業などで差別するのは誤った考え方です。差別には正当な理由がなく、人種やジェンダー、病気なども差別を認める根拠にはなりません。
そもそも病気や怪我をする可能性は誰にでもあり、それによって差別されるとなれば安心して暮らせません。差別は身近に存在するものであり、自分を苦しめる可能性もあります。
恐ろしいのは、差別を嫌悪する善良な人が、何気ない発言や行動で差別に加わってしまう「無意識の偏見」です。
『破戒』は差別問題を理解するうえで役立ちます。差別と闘う人、無自覚・流される人、差別を利用する人など、さまざまなキャラクターが炸裂する感動作です。
長編小説を読むのが苦手という人は、まずは漫画から読んでみるのがおすすめ。
ぜひ、まんがで読破『破戒』を参考にしてみてください。