新橋駅から3分の「末げん」。
1970年(昭和45年)11月25日、三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げる。その前日「最後の晩餐」に訪れたのが新橋「末げん」だ。
三島は、その二日前にも家族・弟一家と食事をしている。1954年から1957年頃まで付き合っていた旧姓、豊田貞子と初めてキスをした場所だともいうからかなりの行きつけだったのだろう。
末げんの三島由紀夫「最後の晩餐」コース
事件を起こした盾の会のメンバー4名と食べた最後の晩餐「わ」のコースを食べることとしよう。
かしわの湯引きの飛子和え。アユの甘露煮、のし鳥、銀杏のつきだしに続いてかしわと野菜の和えもの、ぐじ(アマダイ)とかしわのお造りと鳥尽くしのメニューだ。
末げんの「鳥鍋」を味わう
見るからに新鮮な鳥鍋の材料。
いよいよ鳥のそっぷ(鶏がらスープ)で煮込む鳥鍋。今回は水郷(千葉)の鳥を使っているとか。
名物は鳥と軍鶏、合鴨を合わせて塩胡椒などはせず作られた特製ひき肉。鳥の旨味だけで勝負している。そこに椎茸、長ネギ、糸こんにゃくに豆腐が加わる。
ぐつぐつとそっぷが沸き立つ音だけでも食欲がわいてくる。鳥鍋は店のお姉さんが供してくれるので出来上がるのを待つのみ。
最初は煮込まれたもも、砂肝、ひき肉は、醤油と山椒で味付けした大根おろしの上に軽く置かれており、好みで混ぜて食べる。
たしかに、醤油の濃さが苦手な人は軽くひたす程度でも十分うまい。
次は、もみじおろしとポン酢だ。
レバー、ひき肉に、硬くならない程度にそっぷで湯がいた合鴨がのっている。それだけで十分美味いので、もみじおろしが少々辛いのはご愛敬か。
最後は醤油、ポン酢の好みの味付けで、はつ、ひき肉をいただく。
残ったそっぷの雑炊で〆る。
過剰に味付けをすることなく、鳥をはじめ材料から出た旨味で食べるためさっぱりしてとてもヘルシーだ。
三島は死の直前まで体に良いものを選んでいたのではないか。
老舗「末げん」の常連客・三島由紀夫
「末げん」の創業は1909年(明治42年)。
今はなき日本橋「末廣」の別れとして「末」の一文字と初代丸源一郎の「げん」を合わせて「末げん」とした。
文民宰相・原敬や、六代目尾上菊五郎などにも愛された。三島由紀夫が通った間口九間、黒塀の店は建て替えられたが、部屋にはその部材を使って雰囲気を今に伝えている。
太宰治嫌いの三島由紀夫
三島と言えば『斜陽』などで有名な太宰治嫌いが定説だが、果たして本当だろうか。
こんな文章が残っている。
一度だけ三島は太宰に会っていた。
「『斜陽』の連載が終わった頃」1946年12月14日のことだ。「僕は太宰さんの文学は嫌いなんです」と面と向かって話している。
太宰は「そんなこと言ったって、こうして来てるんだから、やっぱりすきなんだよな。なあ、好きなんだ」と一枚上手の反応をしている。
自分で書いているくらいだから、太宰嫌いを売りにしているのではと勘繰りたくなる。
三島由紀夫の同族嫌悪?
三島は後年のインタビューでも「太宰に溺れて、あんな風になりはしないかという恐怖感があった」「文学が死に誘うのはかまわない。そこから作者がよみがえらなかった」と話している。
好きになる要素や共通点があるから嫌いだと言っているとしか思えない。
何度も自殺を図っている太宰治は、『斜陽』のなかで自殺する主人公の弟・直治の遺書にこう書いている。
なにか女性に周りを固められた感じがして、山崎富江との心中を彷彿とさせるものがある。
盾の会の面々に引きずられて自衛隊に乱入し割腹したという説もある三島と共通点がある気がしてならない。
新橋・末げんの名物「親子丼」
「末げん」に戻ろう。
夜のコースは敷居が高いと感じる人には、昼の定食もおすすめだ。
先ほどのひき肉を使った親子丼。味は濃くはないがつゆだくの丼は昼にはピッタリ。
「最後の晩餐」にも相応しい元気が出る(笑)一食だ。
末げん
東京都港区新橋2-15-7 S-PLAZA弥生 1F
JR山手線ほか【新橋駅】徒歩3分
この記事を書いた人 平野 秀幸 (ひらの ひでゆき) フリー編集者。少女少年漫画から週刊誌、エンターテイメント誌など多くのジャンルを渡り歩く。ビートルズ、歌舞伎、食、女性を愛す。ただいま、漫画シリーズを企画準備中。