ドストエフスキー『罪と罰』に記された異常犯罪「サンクトペテルブルク老婆殺人事件」。その犯人を凶行に走らせた動機は、凡人には理解しがたいものでした。
19世紀ロシアを震撼させ、現在も世界中で語りつがれている凄惨な事件と、犯人の人物像に迫ります。
ドストエフスキー『罪と罰』から見る事件データ
1866年に刊行された『罪と罰』には、2名の一般女性が犠牲となった「サンクトペテルブルク老婆殺人事件」について克明に記されています。
判明している事件の詳細を見ていきましょう。
事件のあらすじ
1865年7月、帝政ロシアの首都・サンクトペテルブルクで事件は発生しました。
下宿暮らしの貧しい青年が、貸金業を営む女性とその義妹を殺害したのです。
事件データ
事件名 | サンクトペテルブルク 老婆殺人事件 |
犯人 | ロジオン・ロマーヌイチ・ ラスコーリニコフ |
事件種別 | 強盗殺人事件 |
犯行場所 | 被害者の自宅 |
凶器 | 手斧 |
被害者数 | 2人死亡 |
判決 | 懲役8年|シベリア収監 |
犯人のラスコーリニコフは、被害者となる女性からの借金がありました。
ラスコーリニコフは女性を殺害し、金品を強奪する計画を立てていましたが、帰宅したその義妹に犯行を目撃され、凶器の斧を振りおろしました。
被害者はふたり
殺害されたアリョーナさん(推定60歳)は、ラスコーリニコフの下宿の近隣で貸金業を生業にしていました。
義理の妹・リザヴェータさんは35歳になる未婚の女性です。
姉妹関係は良好とは言えず、リザヴェータさんは姉から暴行を受けることもあったようです。
犯行当日、リザヴェータさんは外出しているはずでした。それを偶然知ったことが、ラスコーリニコフに犯行を決意させたのです。
しかし、リザヴェータさんは犯行現場で鉢合わせし、2人目の被害者となってしまいました。
ドストエフスキー『罪と罰』に記された犯人像
事件の犯人・ラスコーリニコフは貧困にあえぐ若者でしたが、金品を奪うことだけが犯行動機ではなかったようです。
学生時代の論文から、その異常な思想が明らかになりました。
犯人のプロフィール
ラスコーリニコフは、犯行当時23歳。
頭脳明晰な青年ですが、学費滞納のために大学を中退して無職。下宿の家賃も滞納し、家主から訴えられる状況でした。
革命の英雄・ナポレオンを崇拝するラスコーリニコフは、大学在籍中に反社会的な趣旨の論文を発表しています。
「非凡人」は法を踏みこえる権利を持ち、それが全人類の救済になるのであれば、障害となる相手を殺しても良い。
これがラスコーリニコフの犯行動機です。
ラスコーリニコフは自身を「非凡人」つまり天才とみなし、貸金業のアリョーナさんは暴利を貪る「障害」として、それを殺す権利を持つと信じていました。
しかし、善人であるリザヴェータさんまで手にかけてしまったこと、良心の呵責によって、次第に心の安定を失っていきます。
そして自身が苦悩する本当の理由に気づきはじめるのです。
ラスコーリニコフの家族構成
ラスコーリニコフには故郷に母親と妹がいます。
家族関係は良好で、事件直後にサンクトペテルブルクで再会しています。特に母親のプリヘーリヤさんは息子だけが心の支えだったようです。
妹のドーニャさんは弁護士のルージン氏と婚約中でしたが、ラスコーリニコフは、ここでもルージン氏との間でトラブルを起こしています。
事件解決後、ドーニャさんは平穏な生活をおくったようですが、プリヘーリヤさんは病に倒れ、息子を案じながら亡くなりました。
ラスコーリニコフの交友関係
親友・ラズミーヒン
ラズミーヒン氏は、事件捜査を担当するポルフィーリィ予審判事の親戚です。
ラスコーリニコフがポルフィーリィ氏と初めて面会したときも同席しています。
ラズミーヒン氏は事件の真相を知ったあとでも、親友とその家族を見捨てませんでした。
資産家の息子でもある彼はドーニャさんと結ばれ、裁判後にシベリアへ収監されたラスコーリニコフを追って移住する計画も立てています。
娼婦・ソーニャ
ソーニャさんは、元官吏マルメラードフ氏の娘。
酒に酔ったマルメラードフ氏が馬車で轢死した事故をきっかけに、ラスコーリニコフと親密な関係に発展しています。
ソーニャさんは敬虔なクリスチャンです。父親に代わって貧しい家族の生計を支えていますが、近隣住民の証言から、売春行為を生業としていることが判明しています。
ラスコーリニコフが犯行を自白した最初の人物ですが、ソーニャさんと被害者のリザヴェータさんは友人でした。
反社会的な人物とも関係が?
退廃的人物・スヴィドリガイロフ
スヴィドリガイロフ氏は、ドーニャさんが勤務していた屋敷の主です。
彼がドーニャさんに交際を求めていることを知った妻のマルファさんが激怒し、ドーニャさんを失職させています。
その後、ルージン氏と婚約したドーニャさんを追って訪問したサンクトペテルブルクでは、ラスコーリニコフに接触し、国外逃亡を示唆しました。
さらに、マルファ夫人を殺害して遺産相続したという嫌疑がありましたが、サンクトペテルブルク滞在中に拳銃自殺しています。
ドストエフスキー『罪と罰』が記した事件捜査
『罪と罰』には、事件捜査の進展についても記されています。
次は事件の予審判事・ポルフィーリィ氏の周辺から、捜査終結までの経緯を見ていきましょう。
予審判事ポルフィーリィ
ポルフィーリィ氏は初動捜査として、アリョーナさんから金を借りていた者たちに出頭命令を出しています。
ポルフィーリィ氏はラスコーリニコフの論文を読み、彼が犯人であることを確信していました。
物的証拠はラスコーリニコフによって隠滅されています。ポルフィーリィ氏はたびたびラスコーリニコフと面会し、議論によって追いつめることで、彼の自白を待ちました。
その確信は、ペンキ屋のニコライが犯人として名乗りでても揺らぎませんでした。
ペンキ屋ニコライの冤罪
ペンキ屋のニコライ容疑者は、犯行当時、現場の階下にある部屋にいました。
たまたま手に入れたアリョーナさんの持ち物を転売したことから殺人の嫌疑をかけられ、警察の取り調べに耐えられず、自白してしまいます。
実際には冤罪だったわけですが、これが事件をより複雑にしました。それでもポルフィーリィ氏はラスコーリニコフに「罪の償い」を諭します。
その後、ラスコーリニコフの自首によって、一連の捜査は終結します。
彼はなぜ自首を選んだのか?
裁判での供述や態度を見ても、単純な「良心の呵責」ではないようです。
「非凡人」はすべて許される。それなのになぜ、自分はこんなに苦しんでいるのか?
事件の真相は法廷で明らかになりますが、特筆すべきは娼婦・ソーニャさんとの関係です。
ラザロの復活と事件の関係
ソーニャさんは「ラザロの復活」をラスコーリニコフに読み聞かせています。
ラザロの復活とは、イエス・キリストが起こした奇跡のひとつで、信仰によって死者が蘇るという聖書の一説です。ラスコーリニコフはこの事件で、被害者だけでなく「自分自身を殺してしまった」と心情を吐露しています。
逃亡するか自殺するか。心理的に追いつめられていたラスコーリニコフは、ソーニャさんに犯行を自白し、自首を勧められていたのです。
裁判と判決|ドストエフスキー『罪と罰』の結末
罪状認否において、被告人・ラスコーリニコフは犯行を全面的に認め、すべてを詳しく陳述しています。
検察側は、被告人が隠蔽した証拠の所在など、供述の裏づけを確認。
弁護側は、犯行当時のラスコーリニコフが心神喪失だったと主張。関係者の証言を集め、刑事責任能力の判断を求めました。
罪は償われるのか?
「シベリアでの懲役8年」
裁判所は寛大な判決を言い渡します。
しかし、ラスコーリニコフから謝罪の言葉は最後まで一切ありませんでした。
服役中もラスコーリニコフに反省する様子はなく、たびたび他の受刑囚とトラブルを起こしています。また、熱病にかかり監獄内の病舎に収容されたことが報告されています。
そんな彼にも支援者の女性がいました。シベリアまで移住した献身的な女性との交流で、ラスコーリニコフは更正できるのでしょうか。
「ラザロの復活」とは、罪を犯して「自分自身を殺した」ラスコーリニコフの再生を象徴するのかもしれません。
現代の予言書|ドストエフスキー『罪と罰』
「サンクトペテルブルク老婆殺人事件」は、ロシアの文豪・ドストエフスキーが長編小説『罪と罰』に記したフィクションです。
実際の事件ではありません。
『罪と罰』に描かれたのは、当時のリアルな社会情勢、信仰と愛、人間の葛藤と復活です。そして現実に、作品と類似する人物や事件が発生したことから「現代の予言書」と呼ばれています。
『罪と罰』の発表は1886年。さまざまな研究・分析がなされ、翻訳版については誤訳の指摘やその解釈について、現在まで活発に評論されてきました。
難しそうで敬遠されがちな名著のひとつですが、未読の方にまずは、まんがで読破『罪と罰』をおすすめします。主人公の葛藤と心理戦にフォーカスし、エンタメ的に楽しめる構成にしました。
犯罪小説としての『罪と罰』の面白さは、その魅力の一側面にすぎず、ネタバレや脚色などで名著の価値は色あせません。
みなさまにとって原作に挑戦する「きっかけ」となれば幸いです。