19世紀に発表されたマルクスの『資本論』は、資本主義の仕組みを暴いた歴史的名著と評される一方で、時代遅れなデタラメ理論だと激しく批判もされてきました。
21世紀の現代において、マルクスの思想にはどんな価値があるのでしょうか?
経済評論家の山崎元さんは、賢いお金の使い方や投資に関するベストセラーを生み出してきたエコノミストの視点で、私たちの生活にも通ずるマルクスからのメッセージを読み取ります。
本記事では、『まんがで読破 資本論』文庫新装版(Gakken刊)にお寄せいただいた、山崎元さんによる作品解説を抜粋して紹介します。
マルクス『資本論』を産業革命期の物語を通して解説
これから、『まんがで読破・資本論』の解説を書きます。わざわざ宣言するには理由があります。カール・マルクスが著した『資本論』オリジナルの解説を書くことは、以下にご説明するように、あまりに「大ごと」なのです。
ただし、あらかじめ申し上げておきますが、この『まんがで読破・資本論』は、読者が知りたいと思っているはずの資本主義の仕組みを考える上で過不足ない材料を備えています。しかも、読者が本書を題材に先入観を持たずに考えることによって、オリジナルの『資本論』の秘密にも迫ることができると筆者は考えています。
世界に影響を与え続ける古典・マルクス『資本論』
マルクスは多方面で大きな存在です。
まず、偉大な経済学者として、アダム・スミス、マルクス、ケインズ、と3人を並べて違和感がありません。それぞれの著作や言葉に対して、後世の経済学者達が、解説、注釈、解釈、応用などを捻り出すことを新たな業績にして糧を得ていますが、「後輩を食わせている経済学者」ナンバーワンはおそらくマルクスでしょう。
加えて、マルクスの凄いところは、『聖書』『コーラン』『資本論』と並べても違和感がないことです。これらは、多くの人々を動かした「聖典」です。
社会を変える革命のような大きな行動の情熱を支えるためには、難解で解釈に幅のある奥深い書物が権威として必要です。聖書もコーランもこの条件を満たしていますが、資本論も難解さと解釈の多様性にあって負けてはいません。
そして、いわば「マルクス教」と呼ぶべきマルクス主義にも宗教と同様に多くの分派があります。しかも、しばしば分派同士が互いを異端として攻撃して争い、凄惨な結果をもたらす悪い癖までが、マルクス主義は宗教によく似ています。
このような背景から、『資本論』そのものを直接語ろうとすることは、ある種の地雷を踏む危険な行為とも言えるのです。
『資本論』はさまざまに読まれ、活用されています。ある人は、労働価値説と搾取で利潤の発生原理を解明したのだと言います。また、別の人は、労働における「疎外」の問題を重視しますし、他所には資本主義の崩壊を必然だと信じて待つ人がいます。
近年の論壇でも、「武器として」勧める人がいれば、生産様式を交換様式に置き換えて読み直そうとする人もいますし、マルクスの晩年の研究と併せてエコロジストとしてのマルクスを資本論の中にも見つけようとする人もいます。
多様に読まれるのは古典の特権です。『資本論』にはその資格があります。
資本家・起業家・労働者それぞれの物語
さて、『まんがで読破・資本論』の世界に入りましょう。
主人公は、頑固なチーズ職人ハインリヒの息子であるロビンです。
ロビンは父親の作るチーズを屋台で街に売りに行きます。このチーズが美味しいとの評判を聞きつけて、頭の切れる投資家のダニエルがロビンに近づき、工場でチーズをもっと大量に作ってお金持ちにならないかと持ちかけることから、話が動き始めます。お金持ちになりたいロビンはこの話に乗ります。ただし、失敗した場合は何としてでも償うという誓約書付きです。
投資家・事業家としてのダニエルは優秀です。彼のアドバイスに従って、ロビンが経営する工場は徐々に軌道に乗っていきます。
あなたが目指しているのは「監視役」かもしれない
ここで、怠けたり、反抗したりする工場労働者を腕力で締め上げる「監視役」が登場します。ダニエルがロビンの工場に送り込んだ人物です。この物語の中でも特に嫌われるキャラクターかもしれませんが、彼には注目する価値があります。なぜなら、多くのエリートサラリーマンが目指しているのは彼のような存在だからです。
組織の中で出世したいサラリーマンは、学歴、マネジメント能力、経営者に気に入られることなどを通じて、早く出世して地位を得て、その他大勢の社員をアゴで使えるような、ちょうどこの監視役のような立場の「特別な社員」になることを目指しています。
読者が大きな組織に勤める仕事熱心なサラリーマンである場合、自分がこの監視役のような存在になろうとしていないか、自問する価値があります。筆者も最初に就職した会社では、早く頭角を現して、願わくは将来出世したいものだと思っていたので、身に覚えがあります。
監視役は工場の労働者に言います。「お前らの代わりはいくらでもいる……と社長がおっしゃっている」と。この「代わりはいくらでもいる」という状態こそが労働者にとっての弱みです。
監視役自身は、図抜けた腕力と冷酷さを武器にして「代わりの利かない存在」になった点において、工夫と努力がありました。この点は、その他の工場労働者との「差」として重要です。監視役は、人間的には感じが悪いけれども、職業人としては立派な面を持っています。
労働が意味から切り離される「疎外」の問題
さて、生産の効率を上げるためには、そして労働者に対してたくさん「代わり」を用意するためには、生産の工程を分解して、個々の作業を、理想的には子どもでもできるような簡単なものにすることが有効です。
その結果として、労働者は、自分の仕事を「こっちからきたものを、ガチャンってやって……」としかロビンに説明できない子どものような状態に置かれる場合が生じます。物を作る喜びや、その物が世の中の役に立つのだといった、「仕事の意味」からすっかり切り離されてしまうのです。こうした状況を「疎外」と呼び、本書ではこの言葉では触れられていませんが、資本主義の下での労働者にとって大きな問題です。
しかし、工場経営を軌道に乗せなければならないロビンは、労働者にとって物を作る喜びが大事であることを知りつつも、能率を上げるために生産工程を分割して、労働者をそれぞれの工程に固定することを決断します。
ダニエルはロビンに、資本家が利益を生み出す仕組みを説明します。労働力という「使い方で価値が変動する特殊な商品」を使って、金貨一枚分で買った労働力に金貨二枚分の価値を生産させることで、利益を搾り取るのです。キーワードは「剰余価値」と「搾取」です。
ロビンは、商品としての労働力をお金で買っているのであって、悪いことはしていないのだ、と自分に言い聞かせて、工場の経営者として搾取に一歩踏み出します。
社会・経済の仕組みを知らないと経済格差の不利な側にどんどん押しやられていく
さて、工場の労働者の中に、子どもを養うために必死で働くカールという人物がいました。彼は、労働者は朝から晩まで働いて生活がギリギリである一方、ダニエルに雇われているロビンや監視役が労働者よりも良い生活をしていることに疑問を持って抗議します。「俺たちは、奴隷じゃない!」と。
一般に、会社というものは、お互いに他人を利用し合うための仕組みです。一方的な関係ではありません。労働者は、工場や機械を持った人を利用したり、作った商品を売ってくれる人を利用したりすることによって、はじめて自分の価値を発揮することができます。また、資本家や経営者は、工場や機械があっても適当な条件で働いてくれる労働者がいないと、利益を得ることができませんし、おそらくは機械を買うために行った借金を返すこともできないでしょう。
街では、カールのような労働者たちが集まって声をあげています。「俺たちは……、奴隷じゃない」。それにしても、なぜ彼らはあたかも奴隷のように働かなければならないのでしょうか。
「奴隷」の責任は誰にあるのか?
一つには、資本家が強欲で狡猾だからでしょう。
彼らは、個々の労働者から意味を奪うほどに生産のプロセスを細かく分割して、生産の能率を上げるとともに、労働者を「いくらでも代わりが利く存在」として扱おうとします。そして、いくらでも代わりがいるのだとなると、資本家は労働力を安く買い叩くことが可能になります。
一方、確かに資本家は狡いし強欲なのかもしれませんが、彼らが知恵を絞ってビジネスを考え、ビジネスのプロセスを工夫していることや、商品が売れない場合の損失を覚悟して工場や機械などを購入していること、つまりリスクを取っていることを忘れてはなりません。
労働者は、自分が生産する価値よりも安い賃金で働くことによって、資本に剰余価値(=利益)をもたらします。資本は労働者から利益を得て、その一部を銀行などの債権者に利子の形で支払い、残りが資本家のものになります。そして、うまくいっているビジネスでは資本家の取り分が大きくなるのです。
では、なぜそうなるか。
一つには、労働者が皆よく似ていて「いくらでも代えが効く存在」であり交渉上の立場が弱いからです。
もう一つには、彼らがリスクを嫌って、安定した雇用、決まった報酬額に対して、安い賃金でも労働を提供するからです。
後半にダニエルがロビンに言うように、労働者には二重の自由があります。
一つは労働を提供するかしないかを自分で決められる自由、もう一つには工場のような資本を持たずにいる自由です。
資本を持つことには、それが丸々自分の財産であっても大損するリスクがありますし、多くの場合、借金や社会的な責任などの追加的なリスクを伴います。
ただ、経済という仕組みの性質として、競争させられる立場は不利であり「皆と同じ」存在であるということがむしろ危険なことと、どうやら、リスクを取りたくない人が、リスクを取ってもいいと思う人に利益を提供する構造になっていることに気づくべきでしょう。
毎年、就職活動のシーズンになると、似たようなリクルートスーツを着て同じような表情をした学生たちが、安定した大企業への就職を求めて群がる様子が報道されます。筆者はあの光景を見ると、「剰余価値が集団で歩いているな」と思ってしまいます。
労働者にも工夫の余地がある
一人の労働者の立場で考えてみましょう。
たとえば、柔軟に働くことができて他の職場でも雇ってもらうことができるなら、時間一杯働きづめの職場で、殴られてまで働かずに、他の職場に転職したらいいのではないでしょうか。一箇所で奴隷のように働く必要はありません。
あるいは、他の労働者にできない仕事ができたらどうなのか。例えば、能率良く帳簿を付ける作業ができれば、労働時間の一部はその仕事をすることにして、別途報酬をもらえるように交渉できるのではないでしょうか。
余人を以て代え難い、役に立つ技能を持っているなら、有利に雇ってもらえることは、「監視人」が実証済みです。
また、少なくとも、「しばらく休んでも、その間暮らせるだけのお金」を蓄えておいたなら、健康を害するよりも手前で一休みして、その間に労働条件を交渉するなり、転職先を探すなりすることができるはずです。逆説的に聞こえるかもしれませんが、貧乏な人ほど、自分を守るためには貯蓄が必要なのです。
他人と同じ労働しかできない状態で、余裕もないところまでお金を使ってしまって、自分を追い込んでしまってから、「俺は奴隷じゃない!」と嘆くのは、人生設計が些か不用意ではないでしょうか。
厳しすぎますか? いいえ。むしろ、親切でしょう。
こうした労働者側の問題を指摘すると、「それは、資本家に好都合な自己責任論の押しつけだ」という声が聞こえてきそうですが、「同じ人間」でも、工夫のある人とない人に差が付くのは、責任論以前に生じる普通の現実に過ぎません。
歴史的には、例えば農地を追われた農民が都市に多数流入して弱い立場の労働者としてお互いに足を引っ張り合ったような不幸なケースがあったかもしれませんが、労働者の側でも、自分が「代わりはいくらでもいる」ような存在にならないようにする努力が必要でしょう。
常識を疑え!マルクス『資本論』からの現代へのメッセージとは?
現代社会の状況を交えつつ『資本論』のポイントを紐解く、山崎元さんによる解説の一部をご紹介しました。
山崎さんは「『資本論』を資本という怪物の物語として読むのはばかばかしい」として、私たちの先入観を喝破し、マルクスからの二つのメッセージを読み取ります。
この続きはぜひ、『まんがで読破 資本論』文庫新装版(Gakken刊)でお読みください。まんが本編と解説で、楽しみながら理解できる『資本論』入門の決定版です。
解説者紹介:山崎元(やまざき はじめ)
経済評論家、エコノミスト。1958年北海道生まれ。東京大学経済学部を卒業後、三菱商事に入社。野村投信、住友生命、住友信託、メリルリンチ証券、パリバ証券、山一証券、明治生命、UFJ総研など計12回の転職を経て現在に至る。『ほったらかし投資術』『お金で損しないシンプルな真実』『難しいことはわかりませんが、お金の増やし方教えてください!』など著書多数。
提供:(株)Gakken O18事業部