夏目漱石『こころ』を読んだ人なら、一度はこんな疑問を抱いたことがあるはずです。
なぜ、あの人物は最後まで名前を明かされないのか——。
語り手である「私」が深く心を許した相手は、物語の最初から最後まで、ただ「先生」とだけ呼ばれ続けます。本名は、一度も明かされません。
なぜ漱石は、彼を「先生」のままにしたのでしょうか。そして「先生」は、いったい何を抱えて生きていたのか。物語が進むにつれて、静かに、重く、その理由が明らかになっていきます。まずは『こころ』のあらすじを、わかりやすく振り返ってみます。

夏目漱石『こころ』はどんな小説?
『こころ』は、夏目漱石が1914年(大正3年)、朝日新聞に連載した小説です。物語は「上 先生と私」「中 両親と私」「下 先生と遺書」という三部構成になっていて、視点や時間の流れが、それぞれで少しずつ変わっていきます。

前半(上・中)の語り手は「私」という青年です。鎌倉の海で出会った「先生」という人物に、なぜか強く惹かれ、親しく付き合うようになっていく。でも先生はどこか影があって、心の奥に何かを抱え込んでいるように見える——そんな、じわじわとした違和感が積み重なっていきます。
そして後半(下)で、物語の視点は一変します。先生自身が綴った、長い長い手紙。「私」に宛てたその手紙の中で、先生がこれまで語らなかった過去が、初めて明かされていくのです。前半の”謎”が、後半でゆっくりと解けていく——そんな構成そのものが、この作品の大きな魅力になっています。
『こころ』あらすじ解説

物語は、鎌倉の海水浴場から始まります。「私」は、そこで一人の男に目を留めます。落ち着いた雰囲気をまとい、どこか他の人とは違う空気を持つ人物——それが「先生」でした。以来、二人の関係は深まっていきますが、先生は自分の過去についてだけは、決して多くを語ろうとしません。
三部構成それぞれで、物語がどう動いていくのか見ていきましょう。
上 先生と私

「私」は自分の将来や生き方に悩んでいる大学生。鎌倉で「先生」と出会い、東京に戻ってからも先生の家をたびたび訪ねるようになります。
恋は罪悪ですよ——。
物静かで、どこか達観したような先生の人柄に惹かれる一方、先生の奥さんも気づいていない「何か」を、先生が抱えていることに、「私」は少しずつ気づいていきます。
中 両親と私

大学を卒業した「私」は、故郷に戻り、病に伏せる父の看病をすることになります。父の容態が思わしくないなか、東京の先生から一通の分厚い手紙が届きます。
それは、先生がこれまで誰にも打ち明けたことのなかった、長い告白の始まりでした。
下 先生と遺書

先生の手紙、その中身がここで明かされます。
亡くなった両親の遺産を叔父に奪われて人間不信におちいった先生は、故郷を捨てて東京の大学に進学します。そして、同じ下宿に暮らすことになる親友・Kと、先生は同じ女性に心を寄せていました。
精神的に向上心のないものは馬鹿だ——。
二人の間にあった友情と、譲れない想い。その先で先生が選んだ行動が、Kの運命を、そして先生自身のその後の人生を、大きく変えることになります。

以来、先生はその秘密を誰にも打ち明けられないまま、長い年月をひとりで抱え続けてきたのです。
『こころ』はなぜ今も読み継がれるのか
物語の後半まで決して派手な事件はありませんが、そこに描かれているのは、誰の人生にもある「人間関係の悩み」そのもの。
読み進めるうちに、自分自身の胸の内にも、静かに問いかけてくるような気持ちになるかもしれません。
なぜ「先生」は名前を与えられなかったのか

物語の冒頭で投げかけた問い——なぜ漱石は、彼を「先生」のままにしたのか。作中で確認できるのは、語り手「私」が「ただ先生と書くだけで、本名は打ち明けない」と自ら選んでいる、という事実です。
漱石はあえて先生に固有名を与えず、その匿名性によって、読者は先生を特定の人物としてだけでなく、より普遍的な「みんなの心」の問題として読むこともできるのです。
タイトルそのものが目には見えない抽象的な言葉であることも、この読み方と重なります。
「明治の精神に殉死する」という選択

先生の遺書には「明治の精神」という言葉が出てきます。先生は、親友Kを裏切ってしまったという罪の意識をずっと抱え続けてきました。そこに、明治天皇の崩御と乃木希典の殉死という出来事が重なります。
先生はそれをきっかけに、「明治の精神に殉死する」という形で、自ら死を選ぶのです。
Kへの罪の意識と、明治という時代への殉死——先生自身はこの二つを重ねて語っていますが、その結びつきをどう読むかは、実は研究者の間でも一つに定まっていません。
先生だけでなく親友Kの死の理由にも、いくつもの解釈が存在します。だからこそ『こころ』は、読むたびに違う顔を見せる作品として、今も読み継がれているのかもしれません。
「私の個人主義」に重なるテーマ

『こころ』と同じ1914年、漱石は学習院で「私の個人主義」という講演を行っています。そこで説いたのは、他人の評価に振り回されず自分の軸を持つ「自己本位」という考え方でした。ただし漱石のいう自己本位は、単なる自己中心主義ではありません。
「自己の個性を発展させるなら、同時に他人の個性も尊重しなければならない」と、漱石自身が明確に語っています。
先生の行動を、この「自己本位」と重ねて読むこともできます。想いを寄せた女性のために親友Kを出し抜いてしまった先生は、自分の気持ちを優先するあまり、他人の個性——Kの存在そのもの——を踏みにじってしまった。
漱石が説いた自己本位の理想と、先生がたどり着いてしまった現実。
この二つを並べると、『こころ』が「自由に生きることの重さ」を問う物語だったことが見えてきます。
自分の意見を誰もが自由に発信できる今の時代だからこそ、この問いは100年前よりも私たちに近い場所にあるのかもしれません。
知っているようで、実は知らない教科書の定番

国語の教科書で『こころ』を読んだことがある人は多いはずですが、多くの場合、載っているのは「下 先生と遺書」の一部分だけ。「私」と「先生」の関係性や全体像まで知っている人は、実は少ないのではないでしょうか。
まんがで読破『こころ』なら、教科書では読めなかった「上」「中」の部分も含めて、物語の全体をつかむことができます。まずは漫画で——あの授業で気になっていた続きを確かめてみませんか。
記事制作:Teamバンミカス
「まんがで読破」シリーズの企画・制作を目的に設立された著作会社。前身のバラエティ・アートワークスから足かけ10年で139作を執筆・制作。その他、まんが学術文庫『群衆心理』ほか6作(講談社)、『歴史秘話ヒストリア』『タイムスクープハンター』漫画版および第5期TVドラマ脚本協力(NHK/ピクス)等。


